「………」

熱に侵された世界が晴れたと思ったら、現れたのは到底理解に苦しむ現実。

幾重にも重なり壁と化した木々のざわめきが俺たちを取り囲み、周回する。

遮られ、ちらちらと零れ落ちるだけの陽の光も段々と赤みを帯び始め、肌をなぞる大気の流れは薄っすらと涼やかさを纏いつつあった。

夜の気配が迫る。

だが、俺はピクリとも動けずにいた。

眼前に立つ存在が、計り知れない。

恐れや疑念ではない。

それ以前に、認識できないのだ。

無機物が――刀が、人の姿を取るなどと。

「………はっ…」

呼吸の合間に零れた声音は若干の震えを帯びていた。

高揚にも畏怖にも似た、捉えがたい感情を乗せて。

逃げようとは思えなかった。

プライドが足を縫いとめる。

背中を見せて、逃げる?……そんなことをすれば、自分で自分が許せなくなる。

俺自信の存在意義を見失ってしまいかねない。

出来るか。出来るものか。

して、たまるものか。



「………あ」



ぼんやりと靄掛かっていた幼子の瞳にかすかな光が宿った。

チカリと、瞬く星屑のような煌きが丸く見開かれた眼に色を生む。

小さく零れた声音は眠りから解き放たれた者特有の虚ろを思わせる。

真綿のようなぬくもりが、ゆっくりと剥がれ落ちていくように…。

が、覚醒の揺らぎはそう長くはなく。

「え……あ……」

きゅっと引き絞られた瞳孔には瞬時に怯えと戸惑いが溢れかえる。

「あの…えっと…あの……」

左右に細かくぶれる瞳。

きゅっと握り締められる拳。

ぶるりと這い上がる悪寒を集めたように、竦められる小さな双肩。

洗いざらしのシャツと子供らしい半ズボンから伸びる手足はどこか白い。

あの美しい刃を思わせるが如く、きめの細かい肌。

四、五歳といったところか。

まだまだあどけなさに満ちている柔らげな輪郭は至極まろやかで俺は思わず眉間に皺を寄せた。

一体、なんだというのだ。

「う゛お゛ぉい…!てめぇ…!」

「ひっ!」

観察に観察を重ね、ようやく沈静化してきた脳内が導き出した結論。

俺の沸き起こるべきと判断された感情は…猜疑だった。

侮蔑、嫌悪、畏怖、憤懣。

全てがない交ぜになって猜疑へと凝り固まる。

こいつは得体が知れない。

警戒を、要すると。

「てめぇ、何者だぁ…!」

「ひゃっ!…ううっ…」

睨みをきかせるためにぐっと眉間を下げ目を眇めてやれば…感受性が豊かなのか、機敏に俺の感情の動きを読み取ったのだろう。

ありふれた、黒と茶色と白の眼球にうっすらと水分の膜が張った。

「答えろぉ!」

「っ!…つ、なよ、し…」

「ああ!?」

「さわだ、つな、よし、です…」

「サワダツナヨシ?……名前、かぁ?」

ぎゅっと両目を固く瞑り、肩を竦ませ顎を引く幼児はぶるぶると身体を震えさせながらも懸命に口を開いて見せた。

こぼれ落ちたのは聞きなれない異国の響き。

「てめえの名は閃姫真刀だろうがぁ…!」

「ひぃ!…うっ」

閃姫真刀綱吉。

あの時、確かにテュールが俺に告げた名であり、刀身に刻まれた銘でもある。

冷ややかで麗しきあの青くも白くも透明でもある、魅入られた鋼に刻まれた…。

…大体、名を聞いているわけではない。

刀であるはずのお前が人の形を成すというのはどういうことか、正体はなんだと問うているのだ。

理解しがたい現状と要領の得ない理解力のなさに苛立ちが腹の奥底から燃え上がる。

熱を増して、思考を焼こうと炎を上げる。

「ちゃんと答えやがれぇ!」

舌打ちと共に土を一歩、また一歩と踏みしめれば、そのたびに幼児の全身がピクピクと跳ねる。

苛立たしい。

己の身も守れぬ弱い存在。

庇護を求め、擁護を受け入れ、保身に努める浅ましき意識の集合体。

自分で自分を保てないならば消えてなくなってしまえばいいのだ。

守ってもらえると当たり前のように感じているからこそ、目の前の俺に対しても弱さを曝け出すのだから。

誰も彼もがお前を可愛そうだと感じると思い込んでいるのなら、ソレは間違いだと思い知れ。

腹立たしい。

腸が煮えくりかえるような、熱が俺のリミッターを外す。

子供は嫌いだ。

幼児は大嫌いだ。

何もかもが恵まれている奴を見ると……ぶっ壊してやりたくなる。

「答えろぉ!」

開いていた距離を埋め、迷うことなく肩を掴む。

警戒を解いたわけではないから、足は開き、いつでも距離を開けられるよう跳躍の準備だけは怠らない。

思いのほか力強く腕を伸ばしたこともあって、腕に、身体に、顔面にまとわりついていた血液が跳ねて飛び散った。

黒に程近き赤が、眼前の子供へと降り注ぐ。



「…っふ…う…うあ……あああ…ひっ…うっ」



――ああ、決壊しやがった。

両手で目元を押さえ、唇をへの字に歪め、歯を食いしばりながら漏れる嗚咽。

肩を不規則に跳ね上げながら上下する胸。

だが予想に反して、やかましく泣き喚いたわけではなかった。

こらえようと、忍ぼうとするように抑え込まれたしゃくり声は、この子供の年を考えると少々似つかわしくない。

喚き散らされても腹立たしいだけだが、こうして湿っぽく泣かれるのは無償に苛立たしく感じる。

ならどうすれば正解か?

はっ。そんなもの…俺が知るか。

「チッ……だからガキは嫌いなんだよ…!」

とめどなく生じる涙を幾度も幾度も手の甲で拭うガキはうつむいたまま動こうとしない。

冷ややかに見下してみても気付きはしないから…これ以上の脅しは無意味、か。

知らず知らず、無意識のうちに舌を打つ。

次いで零れ落ちたのは――重苦しい吐息だった。

「……来い」

止まっていても仕方がない。

察するに、こいつは打破すべき対象にはならないだろう。

警戒は最低限怠ることはしないにしても、俺に向かって牙を剥くような力量は皆無と判断できる。

弱弱しい手首。なよっちい肉体。

結論さえ出てしまえば、いつでも捻り潰せるだろう。

こいつの口から、何か語られることも、今は期待できない。

ならば。

「ひっ!」

「てめえは黙って付いて来い」

肩から腕へとずらした掌でしっかりと拘束しながら、俺は足先を森の中へと向けていた。

さっさと宿に戻り、身支度を整え、ボンゴレ本部を目指す。

こいつの正体も、テュールをよく知る人物なら――ボンゴレの主ならば、何か知っているだろう。

重なり合う木々の葉の隙間から零れ落ちる陽の光が、傾斜を増して赤みを帯びる。

頭から。

手から。

足先から。

関係なく、俺を転々と赤く濡らして。

時折足をつまづかせながらも必死に歩む幼児を引き摺って、俺は一路、ホテルに向かって森を突っ切ることに決めたのだった。



降り注ぐ陽によって、銀から銅へと転じた彼の姿を目の当たりにし、瞳を丸くさせた綱吉の涙が止まったことなど、彼は気付くこともなく。






















短すぎ…たかもしれませんが、キリがいいので切ってみました。このくらいの長さの方が読みやすいでしょうか?